膵臓癌について
膵臓癌(以下膵癌)は癌の中でも非常に予後不良の癌であることは皆さんも御承知のことでしょう。膵癌で亡くなった有名人は枚挙にいとまがありません。
昭和天皇、安部晋太郎(安部前総理の父親)、千代の富士(横綱)、星野仙一(中日ドラゴンズ監督)、坂東三津五郎(歌舞伎役者)、翁長雄志(沖縄県知事)、ベラ・チャフラフスカ(チェコの体操選手)など、他にもたくさんおられ、これだけで原稿が終わってしまいます。このうち癌を切除できた方は千代の富士と坂東三津五郎ですが、いずれも術後1年以内に死亡しています。昭和天皇は通過障害にて十二指腸空腸吻合術が施行されていますが、約1年で亡くなられました。翁長知事は手術の詳細は不明ですが4ヶ月で亡くなっています。星野仙一、ベラ・チャフラフスカは手術は施行されていません。
[疫学]
膵癌の予後が不良な原因は、早期発見が極めて困難で発見時に大半が進行癌であることです。また肝
胞癌などと異なり、ハイリスク患者の設定が困難である点です。最近の研究によると家族性膵癌家系・糖尿病・喫煙・慢性膵炎・膵管内乳頭粘液産生腫(IPMN)などが、膵癌危険因子としてあげられます(図1)。
図1 膵がん高危険群
[膵癌の現実]
膵癌登録のデータでは膵癌全症例の生存期中央値(50%の患者が生存する割合)は10か月、切除例で12.5ヶ月、非切除例で4.3ヶ月です。5年生存率はそれぞれ11.6%、14.5%、0.3%と非常に低いことが分かります(図2,3,4)。
しかしながら、2㎝以下で発見された膵癌(stageⅠa)では5年生存率が68.7%であり早期発見されれば長期生存の可能性もあります(図5)。残念ながら、そのようなstageⅠa膵癌はわずか6%であり手術不能なstageⅣ膵癌が80%を占めるのが厳しい現実です。
別の面から他の癌と、国立がん研究センターのデータをもとに比較してみましょう。日本人男性で罹患者数が一番多い癌は前立腺癌で年間92021人、次が胃癌で86905人、大腸癌86414人と続きます。膵癌は21559人です(図6)。一方死亡者数は、前立腺癌12544人、胃癌28043人、大腸癌27416で膵癌は18124人です(図7)。死亡者数/罹患者数を比較してみると、前立腺癌0.13、胃癌0.32、大腸癌0.31に対し膵癌0.84と非常に高いことが分かります。女性の罹患者数は、乳癌、大腸癌、肺癌の順に高く、死亡者数/罹患者数は乳癌0.16、大腸癌0.38、肺癌0.54に対し、男性と同様に膵癌は0.87と非常に高いです。
この数字の意味することは、膵癌の発生者数と死亡者数が近似している、即ち膵癌になると9割近くが亡くなるということを意味し、死に至る病と言えます。
[膵癌早期発見の困難な理由]
膵臓は後腹膜(体の深い場所)に位置し、長さ12~15㎝で平たい“舌”のような組織で横長に横たわっています(図8)。頭側(内側)が厚く尾側(外側)に行くほど薄い構造となっています。検診をはじめスクリーニング検査として超音波検査が施行されます。超音波は腹腔内ガスや脂肪に 容易に邪魔され観察が困難になります。特に膵尾部の検査は至難の業です。
次に特有な症状が出にくいことがあります。膵頭部癌では部位によっては比較的早く黄疸が出で発見に至ることがあります。しかし膵頭部癌の多くは膵鉤部という膵頭部のやや足側に発生することが多く、かなり大きく(5~6㎝)なって発見されることが大半です(図9)。解剖学的に膵液がうっ滞しやすい部位であり、物が停滞することは発癌の大きい要因と考えられることと関係していると思います。また前述したようにハイリスク群の設定(囲い込み)が困難なことも要因です。
[切除不能膵癌に対する治療]
前述したように膵癌の8割は発見時stageⅣで手術不能です。その大半(75%以上)は既に多発性肝転移を伴っています。膵癌治療ガイドラインではそのような場合、一次化学療法としてFOLFIRINOX(4種類の抗癌剤を使用)とGEM+nab-PTX(2種類の抗癌剤を使用)が強く推奨されています(エビデンスレベルA)。
FOLFIRINOXは2011年にフランスで報告された方法で、4種類の抗癌剤を2週間毎に施行するものです。生存期間中央値は11.2ヶ月と報告されています。現実的には有害事象が強く、これを遂行できる患者さんは限定的です。GEM+nab-PTXは日本での臨床試験では生存期間中央値は13.5ヶ月で 脱毛の有害事象があるものの比較的耐容性がよいです。
当院ではGEM+nab-PTXを非切除膵癌の第1選択に施行しています。現実的にstageⅣの膵癌患者さんは黄疸・食事が摂れないなどで全身状態が悪い場合も多く、上記治療が困難な場合GEM単独を施行する場合も少なくありません。患者さんと相談しながら化学療法の中身を決めていきます。
当院の経験ではGEM単独で4年6か月生存された方もみえます。GEM+nab-PTXに変更すれば5年生きられたと思いましたが、患者さん御自身がそれを希望されませんでした。
また遠隔転移を伴わない切除不能局所進行膵癌(切除不能膵癌の25%)では、化学放射線療法と化学療法の両方があります。両者は治療成績は変わらないため、膵癌治療ガイドラインにおいても化学療法が局所進行膵癌に対する標準治療として位置づけられています。治療内容を説明したうえで、化学療法を希望されず、最初から緩和医療を選択される方も見えます。
[膵癌検診の現状]
膵癌検診のスクリーニング検査は前述したように、超音波検査が最初に施行されます。超音波スクリーニングで膵癌が発見される確率は約1万人に1人と報告されています。当院では施行されている検診腹部超音波検査は年間約1万件ですので、1年に1人発見される程度です。実際にはこれよりやや少ない印象です。
膵癌の有病率は人口10万人に対し約20人ですので、豊橋市に限れば年間80人の新規膵癌患者が発生しています。これは有症状で発見された患者さんを含めての数字です。検診受診者は基本的に一見健康体の人ですので背景が異なるとはいえ、検診では大半が見逃されるということになります。広島県尾道市医師会では、「膵癌早期診断プロジェクト」を展開し、5年生存率の改善を認めており豊橋市でも2019年より開始されています。当院では膵癌発見を意識し腹部超音波検査で少しでも異常が疑われる場合は、積極的にMRI検査を施行しています。残念ながら無症状の膵癌患者さんの発見は年1名に留まっており、十分な効果を上げているとは言い難い状況です。
[切除可能膵癌治療]
膵癌の根治的治療は外科的治癒切除であることは論を待ちません。膵癌の外科治療は技術的には非常に進歩し、膵頭部癌に対する膵頭十二指腸切除術も安全に施行できるようになりました。光生会病院でもこの手術は50例に達しています。しかし膵癌の悪性度は高く手術単独では長期生存が得られませんでした。
様々な治療の変遷を経て、この間化学療法の進歩も見られました。その結果、術前化学療法(NAC)の有効性が示され膵癌治療ガイドラインでも推奨されています。米国Mayo Clinicから出た最新の論文(Annals of surgery,2021)によると、3年生存率59%で術前化学療法(FOLFIRINOX)を6コール以上可能であった患者では5年生存率43%という非常に良い成績も報告されています。現実的に日本人でこのような治療が可能な例は非常に稀であると考えられこの成績がこのまま日本人にあてはまるものではありません。
当院でも今までに3名NACを施行後根治手術が出来た患者さんがみえます。このうち1名は無再発生存中で、他2名は残念ながら再発し化学療法施行中です。
[膵癌手術について]
膵癌手術は部位によって術式が異なります。紙面の都合上膵癌の7割を占める膵頭部癌について述べます。膵頭部癌に関しては膵頭十二指腸切除術が施行されます。これは胃・胆嚢・胆管・膵頭部・十二指腸・空腸の一部を切除し再建する煩雑な手術です(図10)。門脈に浸潤がある場合は同部も合併切除・再建します(図11)。この手術は8時間近くかかります。以前は術死率30%近くでしたが、最近は非常に低下し3%と以下と安全に施行できるようになりました。しかし膵空腸吻合の縫合不全は大量出血の危険もあり高度な技術と十分な合併症対策が必要です。
当院でも技術の修練とスタッフの訓練により安全に施行できる環境が整っています。
筆者は日本肝胆膵高度技能指導医の資格を持っており愛知県内で25名、東三河では筆者のみです。膵頭十二指腸切除術式に関しては各施設で術式が異なりますが、当院の術式は全国的に見ても一流施設のレベルに匹敵すると自負しています。
[当院の取り組み]
膵癌診療に関する概略を説明しました。基本は早期発見につきます。前述しましたが豊橋市では約80名の膵癌患者が発見され、約2~3割すなわち15~20名が治癒切除可能であると見込まれます。この比率を高めることが最重要課題です。当院では超音波スクリーニング検査で膵に異常がある方はもちろん、膵不明瞭であった方も積極的にMRI検査を施行し早期発見に努めています。MRIによりMRCP画像を作成し、膵管拡張・狭窄などの所見から膵癌発見に至る方法が正攻法かつベストであると考えています。また面倒ですが経過を見るという“時間”を味方につけることも非常に重要です。これによりstage0の上皮内癌が当院では3名発見されており内2名は健在(1名は残念ながら術後3年で肺癌により他病死)ですが、今のところ目立った成果は出ていません。しかし年間1名くらい全く無症状の膵癌患者を発見できており、この中には手術で根治治療でき長期予後が期待できている方もみえます。この取り組みを始めて3年足らずですので更なる努力を継続していきます。
[まとめ]
膵癌の現実はいまだ非常に厳しいです。膵癌に罹患することは“交通事故”に合うようなものだとも言われます。全く無症状で発見された時には約8割が手遅れです。この厳しい現実に立ち向かう時、虚しさと無力感に襲われます。当院での努力も現実的には十分な結果に結びついてはいません。しかし嘆いてばかりでは仕方ありません。まずは根治性の期待できる早期発見を目指し全力を尽くしていきます。長々とお付き合いいただき、どうもありがとうございました。
光生会病院 院長 金子哲也